八幡林菅衙遺跡( ハチマンバヤシ カンガイセキ )と沼垂城

現在の新潟県は、飛鳥時代には北陸地方全体を範囲とする越国(こしのくに)に属していましたが、のちに越国・佐渡の2か国に分かれました。大化3(647)年に設置された渟足柵(ぬたりのさく)は当初、北方の蝦夷勢力に対する支配拠点でしたが、越後国建国をきっかけに国府となり「越後城」と呼ばれる様になりました。その後、北に出羽国(山形県地区)が建国され国の境界が定まったことから、国府の機能は中央に近い頸城郡へ移され越後城は沼垂城へと名前を変え引き続き後方支援拠点として東北経営の維持に機能したと考えられております。

渟足柵 → 越後城 → 沼垂城

「祝  沼垂城 」こんな小さな木簡から遥かな郷土のロマンが見えてきませんか

上の写真はレプリカですが、良寛の里わしま歴史民俗資料館で詳しく見る事が出来ますので、機会がありましたら是非ご覧になって見て下さい。       新米郷土歴史家 平  和雄